2018.4.18

老舗料亭の若主人と歩く ぶらり白壁ノスタルジー~その1

料亭 か茂免 船橋織光さん

TEXT:MARIKO KONDO / PHOTO:TOMOYA MIURA

東区白壁町。その名の通り、白い壁が多く見受けられるエリアは、江戸時代に武家屋敷が建ち並んでいたところ。交通量の多い外堀通や国道41号線から、この白壁エリアに歩を進めると、不思議なことに空気感がなんとなく変わってゆくのを感じます。このエリアにあまり馴染みのない人にとっては、塀が長く続くお屋敷の風景に圧倒感を持つでしょう。

今回の案内人は、この地で生まれ育ち、家業を継いで今も白壁エリアで暮らしを営む、料亭『か茂免』の若主人・船橋識光さん。子供の頃のセピア色の思い出や少年時代の切ない記憶を一緒に辿りながら、白壁町のちょっと前のお話と今の風景を重ね合わせ、ぶらり散歩をお楽しみください。

名古屋市市政資料館

子供同士で探検を楽しんだ、名古屋市市政資料館

国の重要文化財の指定を受けている大正11年に建設されたネオ・バロック様式のレンガ造りの建物は、その美しい洋風建築のイメージとは裏腹に、昭和54年まで裁判所だったところ。地下には牢屋として使われていた部屋があります。

「友達から、ここが牢屋だったと聞いた時、子供だったのでびっくりしましたね。人がいなくなってから牢屋を見に行こうぜ! と誰かが言い出して、閉館後の市政資料館に仲間でこぞって出掛け、度胸試しのつもりで地下室に忍び込もうとチャレンジしたことがありました。今となってはもう時効ですよね(笑)」と懐かしそうに船橋さんは語ります。

「牢屋だったって本当かな!? という興味がムクムクと湧いてきたのに、実際に行ってみたら怖くてドキドキした覚えがあります。今の子供たちは市政資料館では遊ばないのかな。僕らの頃は、この建物の周りを意味もなく自転車でぐるぐる周って、公園のような感覚で遊んだ覚えがありますね。自転車に花火をくっつけて遊んだこともあったっけ。今では考えられないやんちゃなこともしてましたよ」。

取材当日は、例年よりも早めの桜が満開で、それを目当てに散歩している人を見かけました。かつて裁判所だったというちょっとダークなイメージは今はもうなく、憩いの場として、あるいはドラマロケや撮影が行われる名所として、市民自慢のスポットとなっています。

現代の視点で見てもかっこよく、地域自慢のデザインビル。

不規則に並ぶ窓の配置。重厚感のある外壁。時代を経た建物なのにどこか近未来感のあるデザイン。散歩していると、住宅街に突如現れるこの建物は、渋ビルとしても知られている『中産連ビル』です。「子供の頃は意識したことがなかったけど、大人になってみると、やはりかっこいいデザインですよね」と船橋さん。庭がある最上階の会議室で、いつか特別な会議を主催してみたいのだそうです。

文化のみち 二葉館

文化が生まれた往時のように、ここが新たな交流の場に。

『日本の女優第1号として知られるのは川上貞奴。伊藤博文や西園寺公望を贔屓にした才色兼備の芸妓でした。川上音二郎と結婚して女優となり、パリ万博での興業では、そのエキゾチックな姿からロダンやピカソを魅了したとも伝わっています。夫が病死すると女優業は引退。大正9年頃から、電力王と呼ばれた実業家の福澤桃介とともに名古屋市東区東二葉町で暮らしはじめます。

約2000坪の敷地に建つ和洋折衷の建物は、当時の名古屋の人々にとっても圧巻の存在だったでしょう。政財界の大物や各分野の文化人がひっきりなしに訪れていました。さながら、文化サロンといった趣の空間になっていたのではないでしょうか。二葉御殿と呼ばれていたそうです。

その二葉御殿が創建時から80年以上を経て、ところを橦木町に移して復元されました。名古屋市の施設として、貞奴と桃介が暮らした風情を再現しています。「今では文化のみちの中心スポットでもあり、観光の拠点としてうまく活用されていると思います。あとね、ここで部屋を借りることもできるんですよ」と船橋さんが案内してくれました。「ちょっと雰囲気を変えて会議をしたい時などに使えるから便利なんです」。

地元の人ならではのトリビア話にうなづいていると、船橋さんの思い出話が始まりました。「夏休みになるとここの近くにあったプールに兄や妹と一緒に通ったことを覚えています。みんなで水着のまま浮き輪をつけて歩いて来ていたんです。あのプールはどこだったのかなぁ…」。船橋さんは二葉館の真上にある真っ青な空を見上げながら、遠い記憶の糸を手繰っているようでした。

川井屋

ここに来たら絶対、鴨南蛮きしめん。

「名古屋で手打ち麺のお店を営業するのは高い技術が必要」と名古屋グルメに詳しい知識人に聞いたことがあります。そばとうどん以外に、きしめんと味噌煮込み用のうどんの合計4種類の麺を作らなければならないため、それぞれに高い技術となにより仕込みのスピードが肝心だから、なのだそう。すなわち、名古屋で手打ち麺を謳っているお店はひたすら真面目に仕込みと調理に専念している、ということになるでしょう。

外堀通の飯田町交差点を北に上がったところに、大正10年に創業した手打ちそば・きしめん・うどんの名店があります。現在のご主人・櫻井太郎さんで3代目を数え、一子相伝のレシピが多くのファンを作ってきました。ご多聞にもれず、ここも真面目に手打ち麺と向き合うご主人が、暖簾を守り続けているのです。

「昔からよく来ています。ここの“鴨南蛮きしめん”が大好き。川井屋のいちばんの名物と言ったら鴨南蛮ですよね?」と船橋さんが問いかけると、少し困ったような顔をして「あ、えーと、“鴨南蛮きしめん”は10月から3月までなので、いちばん人気があるのは“海老おろしうどん”、かな…」と遠慮がちに櫻井さんが答えます。2人の微笑ましいやりとりが、自然に場を和ませます。

子供の頃から言い伝えを聞いていた、クスノキの都市伝説。

道路の真ん中を車の通行を妨げるようにしてそびえ立つクスノキの大木。事情を知らない人が見たら、道路建設の時になぜ切らなかったのか?と思うでしょう。「この木を切ろうとした人は皆たたりに遭うとか、そんな話を子供の頃から聞いたことがあります。切らずに残っているということはそういうことなんでしょうね」。船橋さんの真実味のある話に思わず耳をそばだててしまいました。

思わず童心に還る、フィッシュセンター。

清水口の交差点を北に上がったところにある、2018年で創業47年目を迎える熱帯魚ショップ『清水口フィッシュセンター』。魚が大好きだった船橋少年は、毎日のように通いつめて、魚を眺めて過ごしていたのだそう。「今は700種類くらいしかいないけど、昔はもっとたくさんの魚がいたんだよ」とご主人。
「おじさん、僕のこと覚えてる?」「ああ、なんとなく見覚えあるなあ。魚を一生懸命に眺めとった子か」「ここで餌ドジョウを買って、大きく育てたんだよね」「最近は飼っとらんのかね」「数年前まで熱帯魚を飼っていたんですけどね、引っ越しがキッカケでいなくなってしまって」。魚のことで会話が成立するのは、このショップで過ごした時間がお互いに記憶の断片にあるからでしょう。船橋さんの眼はすっかり童心に還っていました。

全国的にも有名な老舗ルアー専門店が清水口に。

清水口フィッシュセンターからさらに北に進んだところで船橋さんが手招きしたのは、釣り道具の専門店。小学生から中学生にかけてこちらのショップにも通い詰めていたのだそう。店内に入った瞬間、「船橋くんでしょう! ちっとも変わらないね、すぐにわかったわ!」とお母さんが声をかけてくれました。
「うちは取材はお断りなんだけど、船橋くんの顔を見たら断れないわね」とニッコリOK。なんでも、ルアーの専門店として全国では有名なショップなのだそうです。奥に座っていたお父さんが「昔からうちには濃い釣り人が集まってくれてね、私のような偏屈オヤジがいることで知られていたんですよ」と語ってくれました。釣り道具のショップは減少傾向にあり、何かに特化した専門店が残っているのは東海地区だけなのだそう。『ルアーショップおおの』は釣り人からの絶大な支持を受けて、今でも遠方から通うお客さまで賑わっています。

PROFILE

案内人Norimitsu Funahashi

老舗料亭か茂免の次男として東区白壁で生まれ育つ。大学卒業後、高麗橋吉兆・湯木貞一氏のもとで修業した後、現在はか茂免の若主人として、両親と妻である若女将とともに、名古屋が誇る料亭文化を守り、かつ料亭の新たな可能性を模索している。小さな子供の頃はか茂免の庭を遊び場に、大きくなるにつれて自宅の庭と隣接する料亭櫻明荘の庭に忍び込んだり、名古屋城のお堀で探検したり。まるで領地を広げていくかのように遊びの場所を増やしていったという。
料亭 か茂免:http://www.ka-mo-me.com

ライターMariko Kondo

コピーライター、プランナー、コラムニスト。得意分野は、日本の伝統工芸・着物、歌舞伎や日舞などの伝統芸能、工芸・建築・食など職人の世界観、現代アートや芸術全般、食事やワインなど食文化、スローライフなど生活文化やライフスタイル全般、フランスを中心としたヨーロッパの生活文化、日仏文化比較、西ヨーロッパ紀行など。飲食店プロデュース、食に関する商品やイベントのプロデュース、和洋の文化をコラボさせる企画なども手掛ける。やっとかめ文化祭ディレクター。

カメラマンTomoya Miura

1982生まれ。現在名古屋を中心にウロウロしながら撮影中。 その他、雑誌広告も。
栄の観覧車に一度は乗ってみようと思ってます。